義務教育6年間勉強をしていなかった僕がたった1カ月の猛勉強で定時制高校に合格した話
みなさんこんにちは!
私は不登校6年間、中学生になり学校に通い始めたけど、「学校に行く」ことで精いっぱいで勉強なんて9年間ほぼ真面目に取り組んだことがありません。
そんな僕が、中学3年生の卒業残り1か月の猛勉強で過去9年間のブランクを取り戻し、高校入試合格を果たしたお話を皆さんにお伝えします。
数年前にモデルの石川恋(いしかわれん)さん出演の「ビリギャル」が流行りましたね!
この映画は小学4年レベルの学力だった金髪ギャルが、日本最難関の私大・慶應義塾大学への現役合格を果たす。と言うストーリーです。
僕はギャルでは無いし、慶應義塾の入試を受けるというものではありませんが、ハードルの高さで言えば同じくらいだと思っています笑
また、今回の話の途中で出てくる内容は最終的に人気テレビ「スカッとジャパン」的な内容になっています!
「コレって実話なの?」って思われる内容だと思いますが「すべて事実」です!笑
高校入試を受けたのはもうかれこれ8年前くらいになりますが、今考えても自分が一番びっくりしています笑
前置きはこれくらいにして、早速見ていきましょう!
不登校6年間のブランク
私のことを知ってくれている方は知っていると思いますが、私は義務教育6年間(小学1年生から6年生まで)”不登校児”でした。
大抵の場合、小学1年生から”勉強”を学校で始めると思います。
しかし、私は”勉強”と言うものを小学1年生からの数日しか経験していません。
なので勉強のやり方を知りませんでした。
不登校中は「学校に行くこと」に自分も含め周りの人たちも専念していた為、勉強は二の次だったので、全く勉強をしてきませんでした。
私が不登校の時支えてくれたお母さんも、「無理に勉強はしなくていいよ」と言う考え方だったので、私もそれに甘えて、とにかく毎日学校に行くことだけを考えていました。
中学生になっても勉強をまともにやらず・・・
中学生になり、僕は学校へ通えるようになりました。
しかし、今まで勉強を全くやってこなかったので、勉強しようにもできませんでした。
というのも、数学で例えると中学生になると方程式や因数分解などが登場し始める為、基礎的な掛け算や分数を使った計算が必須になりますが、私はこれすら出来なかった為、勉強をやること自体に前向きになれず、授業中はいつも知っているふりをして、ノートに絵を書いて遊んでいました。
でも、学校にはテストというものがあるんですね笑
中学校の最初のテストで僕は自分の実力の無さを実感しました。
みんなは60点とかを平気で取り、すごい人だと90点未満だとすごい泣きそうな顔にまでなっている人もいました。
そんな中で、私はというと数学14点、国語21点、理科9点、社会17点、英語32点でした・・・。
まぁ、僕から言わせると10点以上取れたのは選択式の問題で適当に書いたら当たっていただけなので、実質全部0点ですね笑
英語に限っては、小学校では教えてもらっていないみたいなので、他のみんなと同じスタート地点ということが分かり、「頑張ろう!」と思い少し真面目に受けていたのでこの点数が取れました。
apple→リンゴくらいのものですが笑
そして、テストの結果が返ってくると、みんな「テストの見せあいっこ」をするみたいですね。
僕のところにも友達が来て「想君テスト何点だった?」と言われ、テストを見せました。
すると友達が「え?!こんな点数見たことないよ!笑逆に天才!」と言われました笑
馬鹿にされているのでしょうが、語尾に「天才」と言う文字が付いていたので、不思議と不快に思いませんでした。
むしろ褒められたように感じ、それからというもの「勉強なんかしなくてもなんとかなるだろう」と思い、本当に中学3年間全く勉強しませんでした。
絵を書くことと、体を動かすことが好きだったので、美術・体育は評定5でした。(今は分かりませんが、僕の時代は5段階評価で、5が一番良い評価)
それ以外はというと全て評定2でした。
学校の先生も「出席はしているから1は付けれないけど、テストの点が悪いから良い評価は上げられない・・・」と言っていました。
それもそうですよね。真面目に勉強していない僕に評定3とか4を平気でつけていたら、他の真面目にやっている子に失礼ですもんね笑
長期休暇前になると、学校の先生から毎回「通知表」が渡されます。
周りの子は「また成績悪いや・・お父さんに見せられないよ・・」などと言っていましたが、見せてもらうと平均して評定4でした笑
「いらないなら交換する?」と僕が言うと、その子は「想君のはいいや笑」ってよく言われていました。
そんなこんなで、みんなお父さん・お母さんに通知表を通して「僕はこんなに頑張ってるよ!」というのを渡します。
僕ももちろん渡していました。
しかし不登校だったこともあり、両親は理解してくれていたので評定に対して文句を言われたいことは一度もありません。
評定の数字よりも、僕の両親が重要視していたのは一番下の学校の先生からのコメント欄でした。
そこには「学校の友達と仲良く過ごせています。勉強ももう少し頑張ってみましょう」的な内容が毎回のように書かれていました。
両親はこのコメントに対して「想君毎日頑張ってるんだね!毎日楽しそうでいいね!」と毎回褒めてくれていました。
なので余計に「勉強しなくてもいいじゃん!」って思ってたんですよね笑
入試シーズン
あっという間に中学3年生の冬になり、中学生活も残すところ数か月になった頃から「どこの高校にいくの?」というワードが毎日のようにクラス中で飛び交っていました。
僕も「高校かぁ・・」と考えてはみたものの、行きたい高校もなく、一生中学生が良いと思っていました。
高校入試は私たちの学校では基本的に3パターンに分かれています。
まず私立高校の入試が一番早く、次に公立高校の自己推薦、最後に公立高校の一般入試があります。
そこで、特に行きたい学校もなかったので、当時野球が好きだったので地元でも強豪として知られる私立高校をひとまず受けてみることにしました。
それにその学校を選んだ理由はもう一つあり、「面接のみ」という好条件でした。
実際は評定が面接官に渡り、その内容も吟味して合格・不合格を決めるものでしょうが、当時の僕はそんなことは考えていませんでしたので、「面接のみなら受かるかも!」と思っていました。
しかし、結果は不合格。
それもそうですよね。特に面接が良いわけでもなく、評定はボロボロなんですから・・。
その高校には友達と2人で受けましたが、その友達は合格して喜んでいました。
「良いな」と言う気持ちと同時に「このままじゃやばいかも」と思いつつ、次の公立高校の受験までの時間も「中学生活最後だから思いっきり遊ぼう!」と思い、受験が無い後輩たちを探して、休日は思いっきり遊んでいました笑
そして、公立高校の受験が始まりました。
私の学校からは総勢21名が受験しました。
私は「今回も落ちるんだろうな」と思いながらも、「他に20人もいるんだ。落ちるなら今回は僕だけじゃないから大丈夫だ!」と自分に言い聞かせていました。
筆記試験が終わり、結果は見えていましたが、面接は頑張ろう!と思えたので、本気でやり抜きました。
受験が終わり、次の日学校に行くとみんなが昨日の受験の話をしていました。
皆して「面接やばかったぁ~」「点数やばいかも」という話をしていたので安心しました。
「みんなあまり良くなかったのか。良かった」と心の中で思ってしまいました。
そして、合格発表の日。
放課後にその公立高校を受けた生徒だけ残り、担任の先生から合格・不合格を聞かされます。
みんなはやく合格発表を聞きたがっていたので「みんな先に行っていいよ!」と言い、僕は最後に聞くことにしました。
21人の運命は!?
1人・・2人・・と1人5分くらいでどんどん合格可否を聞き、隣の教室から出てきます。
ちらほら、教室に戻ってくる生徒は「合格した!!!!」ととても嬉しそうな笑みを浮かべて、友達に発表していました。
戻ってこない生徒は「不合格だったのかな」と思い、少し可哀そうだなと思っていました。
そこからさらに時間が過ぎ、ついに僕の順番がやってきました!!
ガラガラ・・と教室のドアを開けると担任の先生が待っていました。
とても険しい顔をしています。
普段は優しい先生で面倒見が良いので、「入試って緊張感あるなぁ」と、先生の顔をみて初めて思いました。
そして、先生が口を開きました。
「篠田君・・・残念ながら不合格だよ」
と言われました。
僕は「また不合格かぁ~」と思っていると、先生が続けて
「あとね、篠田君以外は全員この高校に合格したよ」と言い、先生の顔を見ると、半笑い状態でした。
私はあの時のあの表情は今でも忘れません。
その瞬間から、私は「体に電撃が走ったような感覚」になり、目が覚めました。
席を”バッ”と立ち、そのまま走って自転車を取りに行き、全速力で自転車を漕ぎ家に向かいました。
普段は家の裏に自転車を止めますが、そのときは玄関前に自転車を止めました。
家に着くと、お母さんが晩ご飯の準備をしていました。
「想君おかえり。受験どうだったの?」と聞かれ僕は、「母さん!不合格だった!僕今日から本気で勉強する!」と宣言し、お母さんと一緒に倉庫に今までの過去9年間の教科書を全て引っ張りだしました。
僕は、あの担任の先生の”半笑い”が許せない気持ちで一杯でした。
僕の人生全てを否定されたようで、泣きそうなのと怒りが同時に入り混じって、とてもじゃないけど言葉では言い表せません。
その日、僕は「先生をギャフンと言わせてやる」と心に誓いました。
その日から、学校でも本気で勉強し、毎日平日は学校が5時に終わり、帰宅してご飯とお風呂を30分で終わらせて、寝るまでの5時間勉強をしました。
土日の休みの日も、昼ご飯も食べずに朝から夜までノンストップで12時間連続で部屋にこもり、勉強をしました。
最後の入試である一般入試は残り1か月しかありません。
しかし、高校に合格するためには過去9年間分の勉強が必要です。
普通に考えれば、「無理な話」です。
ですが、全ては「先生をギャフンと言わせる」為です。
もちろん、放課後や休日に友達から遊びの誘いが来ますが、そんなことに構っている暇は1秒だってありません。
先生のあの時の表情だけを常に思い出し、僕はひたすら勉強しました。
高校入試
あっという間に1カ月が過ぎました。
一般入試当日です。
僕はもうこれ以上努力することが無いだろうと思うくらいに勉強しましたが、やはり9年間のブランクは大きいですね。
間に合わなかったところも沢山あります。
しかし、もう間もなく1時間で入試が始まります。
お母さんが会場まで車で送ってくれました。
帰り際にお母さんが「想君なら大丈夫!いっぱい勉強したもんね!」と言ってくれました。
僕は「よし!やるしかない!!!!!」と自分を奮い立てせ、会場に向かいました。
そして筆記試験が始まりました。
過去入試問題の対策もばっちりです。1か月前の自分とは全く違い、手に取るように答えが分かります。
そして、面接も無事終わり、僕はすべての力を出し尽くしました。
合格発表は2週間後です。
僕は「結果はどうであれ、やることはやった」と思えました。
そして、合格発表は春休みになります。(春休みと言っても、卒業してるので高校までの休み期間)
僕は中学を卒業し、春休みに入りました。
合格発表
気づけばもう春でした。あっという間に2週間が過ぎ、ついに合格発表日です。
発表場所までお母さんが車で送ってくれました。そして、会場に着くとたくさんの人がいました。
会場のボードに受験番号が書いてあれば合格です。私は一人でボードを見に行きました。
受験番号は「3951です」
僕は早速3900番台を探し、見ていきました。
「下2桁が51・・下2桁が51・・」と探しました。
「・・48・・49・・50・・52・・」
ありませんでした。また不合格です。
僕は「終わった」と思い下を向きその場で立ち尽くしてしまいました。
すると、車で待っているはずのお母さんが私のそばに来ていました。
「母さんごめん。落ちたよ・・」と言うと、
「想君何番なの?見せて」と言い、番号を探し始めました。
「悔しさ・悲しみ・恥ずかしさ」で一杯になりこの場から逃げ出したくなりました。
すると、お母さんが突然、「想君、受かってるじゃん!おめでとう!」と言うのです。
僕は一瞬何を言っているのか分かりませんでした。
お母さんは「ほら!」と言って、隣の列を指さしました。
僕は3900番台ではなく、3800番台を見ていたのです。
「え?」と思い、僕はボードを見ました。「・・3948・・・3950・・・”3951”」
お母さんの言う通りそこには僕の受験番号がありました。
もうこれ以上に無い幸せな気持ちで一杯になり、僕は独り言で小さく「よしっ!」と言って小さくガッツポーズをしました。
「想君おめでとう。」とお母さんは言ってくれました。お母さんもとても嬉しそうでした。
その日の晩ご飯は僕の大好きな焼肉でした。
先生への報告
次の日目が覚めると、昨日の出来事が信じられず、自分のほっぺたをちぎるくらいむしりました。
「痛いです。」現実でした笑
そして、その日は合格可否を学校を卒業していますが、学校の先生に報告する日になっていた為、僕は家を後にします。
「ついにあの先生をギャフンと言わせる時が来た」と思い、ワクワクしながら全速力で自転車を漕ぎ学校へ向かいました。
学校に着き、教室に行くと担任の先生が待っていました。
「篠田君、どうだった?」と言われ僕は皮肉の意味を込めた思いっきりの笑顔で「先生!合格した!」
とだけ、言いました。
すると、先生は「そうか!やるじゃん!」と言ってくれました。
僕はそれまで「先生をギャフンと言わせる」ことだけを考えていましたが、そのときの先生の表情を見ると、心から良かったと思ってくれていると分かり、「やっと闘いは終わった」と思いました。
最後に
僕は「先生を見返す」ことだけに集中していましたが、結局のところすべて自分が勉強してこなかったのが悪いし、あの先生がいなかったら、僕は一生勉強していなかったかもしれない。
僕が伝えたいのは「本気でやればどんな問題でも必ず解決できる」という事と同時に、「不登校で勉強できなくて悩んでいても自分次第でいくらでも変われる」ということを伝えたいです。
今不登校で「毎日ゲームばかりして勉強しないから将来が不安」というお父さん・お母さんや、「勉強したいけど、不登校だから勉強できない」と悩んでいる子供たち
不登校6年間、中学3年間一番成績が悪かった僕でも、「たった1か月で人生を変えることが出来た。」
その事実は僕が自分で証明して見せた。
今不登校で悩んでいて、「勉強もしないとな」と思う気持ちがあるだけでも素晴らしいと思うよ!
勉強なんて本気でやればどうにでもなるから、心配することない!
実際、おじいちゃん・おばあちゃんになったら買い物をするときに「2割引き」って文字を見て、「何円かな?」って計算するくらいで、あとは、ほとんど使う時無いんじゃないのかな?
方程式なんて勉強したけど、あんなの成績表の数字を上げる為のものに過ぎないと今でも僕は思っているよ笑
それよりも、「自分がどう生きたいか?どんな人間になりたいか?」の方が今後生きていく上で必要だからね!
篠田 想
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