毎日草むしり
次の日から部活動に今まで通り参加することは許されることもなく、片田先輩と僕は反省の意味を込めて毎日グラウンドの草むしりをすることになった。
もちろんタバコはやめた。
監督に言われたからグラウンドの草むしりをしたり、タバコをやめたわけではない。当たり前のことだろうと思ったからそうしただけだった。
もちろん他の野球部員の人たちは僕らの事情なんて知ったことないから、声をかけてくれる人も自然と減っていった。
監督とも口を利かずにひたすら草をむしった。
もちろん草むしりをするくらいなら、練習に参加できなくても他の選手たちのために補助約としてバッティング練習の相手をしたり、キャッチボールの相手をする方が良いという意見もあるだろう。
しかし、スポーツマンとして、何か不祥事を起こしたらグラウンドに出ること自体出来ないのが普通と考えるべきだと僕たちは考えたからそうした。
テレビニュースなどでも芸能人やプロ選手などが不祥事を起こせば一定の期間が空くまではテレビの前にすら立つことを許されないのと同じ感覚だ。
しかし僕たちは中学生。グラウンドで練習が出来ないからと言って、部活動に出ず、学校の授業が終わればそのまま家に帰っていいのだろうか。
不祥事を起こしたと言っても、結局中学校と言う小さな世界で話は終わる。だからこそ、ボールに触れることは許されないが、せめて今まで練習させてもらってきたグラウンドへの感謝の気持ちと、これからまた気持ちを切り替えて頑張る為の、いわば修行として草むしりを率先してやっていただけだった。
もちろん僕たちはまだ生まれて13・4年くらいしか経っていない「クソガキ」の子供だ。
始めの1週間は「ほんとだるい」「こっそり練習参加してもバレないんじゃね」と心の中では思っていた。
けれど毎日無言でひたすら草むしりをしていると、手は忙しいが、意外と頭の中は「ヒマ」なことに気が付いた。
練習をしてれば「このバッターはここが弱点だ」「この打者は遠くへ打つのが得意だから少し後ろに守ろう」とか体以外にも頭で常に考えてないといけなかったからそういったヒマがなかった。
しかし、草むしりをしていく上で、ヒマな時間をただ怠惰(なまける)に過ごす方が、精神的にはきつかった。
だから僕はあるときから手は動かしつつも、自分の中のもう一人の自分と会話をすることにした。
「今草むしりをしているのは誰の為なのか」「先生たちに不祥事がバレたのは誰かがチクったのか」などいろいろ考えた。
しかし、どれも当てはまるのは結局自分が悪いのだ。
仮に監督にビンタされた後にそのまま練習を続行していたら自分と向き合う時間は確保できなかっただろうと思う。
監督が草むしりをしている姿を見て何も言わなかったのは、そういった時間を作らせるためだったのかも知れないと思うようになった。
僕たちはある時から「反省している態度を見せるための草むしり」から「グラウンドへの感謝」「気持ちを入れ替える為の草むしり」として自分たちの行動の意味を切り替えることができるようになった。